2013年12月27日金曜日

プレゼント

昨日(25日)クリスマスパーティに呼ばれていって来た。
アメリカ人の他にガテマラカら来ている人もいて、国際色豊かなかパーティーだった。

私の感覚と違っていたのは、皆勝手に食べ物をとりバラバラに食べていたこと。
一斉に乾杯などもなかった。

自由の国らしい。
その後プレゼントの交換があった。

集まったプレゼントを一つ所に集め、くじ引きで順番に取りにゆく。
面白いのは、先にもらった人の物がほしい人はそれを取ってもいいことだった。

取られた人は、他の人のを取ってもいいし、新しいのを取ってもいい。
つまり、後の人の方が有利なルールだ。

プレゼントは取ってきてその場で開けるから中身がわかるわけだが、いくら国際色豊かとはいえさすがに自分の国の土地を他国の人にプレゼントする人はいなかった。

2013年12月25日水曜日

クリスマスⅡ

今、こちらは24日。
日本はもう25日で、クリスマス気分はあまりないのだろう。

こちらはこれからだ。
25日になってからクリスマスパーティ。

プレゼントも、25日に開ける。
それまでは、ツリーの下に置いておくことが多いようだ。

教会へゆく人は少なくなっていて、私の娘も行く気はない。
それでも、クリスマスは25日。

もっとも聖書をひっくり返しても、キリストの誕生日は12月ということはどこにも書いていない。
これも習慣なのだから、どちらも良しとしよう。

楽しい、年末のお祭りの一つだと思えばよい。
キリストも、八百万の神々の一人にしよう。

アッラーの神も含めてしまえ。
そうして初めて、世界平和をお祈りできると私は思うのだ。

嘗てベトナム戦争の頃、クリスマス休戦というのがあった。
旧正月休戦とワンセットだった。

鉄砲の弾など、この時期のプレゼントには向かない。
花火にして、新しい年のお祝いに使うのはどうだろう。

とりあえず、地には平和を・・・とお祈りしよう。

2013年12月21日土曜日

クリスマス

今年は、クリスマスとお正月をこちらで過ごすことにしている。
夜になると、街はイルミネーションできれいだ。

もちろん、ふつうの家が飾り付けている。
こちらの習慣が、日本でも広まったわけだ。

本場だけに軒数が多い。
家も大きいから豪華だ。

今朝は、雪も積もっていた。
ホワイトクリスマスになりそうだ。

2013年12月20日金曜日

青山あり

何度目だろうか、太平洋を渡るのは?
定年で退職してから、何回か娘のところへ来た。

今や、太平洋はひとっ飛びだ。
退職前はといわれると、記憶が怪しくなる。

別に政治家を気取っているわけではないのだが。
30有余年前、オセアニアを越えたことがある。

それが、外国へ出た初めてのことだ。
昔のことはさておき、今はアメリカ西海岸にいる。

シアトルに近いエドモンズという町にいる。
私のDNAを受け継いだ孫がいるところでもあるし、曾祖父の墓があるところにも近い。

少し前にも書いたが、人間の行動力は大したものだ。
地球上至る所に出没する。

古人はこれを称して「人生至る所に青山あり」と言ったのだろう。
学は成りがたし。

2013年12月18日水曜日

休む体操

連れ合いがレッスンを受けたいというので、付き合ってきた。
「フェルデンクライス」という。

物理学者が開発した体操だ。
図書館で本を見つけ、自己流でやっていた。

面白いのは、やたらと「休んで下さい」といわれること。
力を入れずに、小さな動きでいいということ。

筋力を付けるというより、体を整えるのだそうな。
「感じてください」ともいわれる。

自分の体の様子を自分で意識するわけだ。
人の感覚は、ほとんどが外に向けられている。

物を握ると、握ったものの重さや暖かさ質感などが感じられる。
だが、そのためにどの筋肉がどのくらいの力が入ったのか、骨はどう動いたのかということはほとんど感じない。

そういうものを感じられるように練習する。
日本の古武道などでも、似た訓練があったように聞く。

フェルデンクライス氏も、柔道を習っていたとか。
詳しく知りたい人はこちら
http://www.feldenkrais.jp/

2013年12月16日月曜日

大病院

白内障の検査で、近くの病院へ行った。
市内でも大きな総合病院だ。

そこで渡された紙にこうあった
「選定療養費1575円」

病床数200以上の病院に、紹介状なしに行くと初診料とは別にかかるのだそうだ。
私は世間知らずらしい。

以前に、国立病院にかかったときも初診が高かった覚えがある。
それはこれが原因らしい。

いきなり大病院へ来てはいけない、とりあえず町医者に行けということらしい。
町医者が悪いわけではない。

私の場合、白内障なら町医者で手術はしないだろう。
こういう病院でするはずだと思ったから、初めから診てもらおうと考えた。

紹介状があっても、きっと検査は初めからやり直すはずだ。
同じようにして、余分にお金を取る根拠は何なのだろう。

いつまでたっても、私には世間の常識が理解不能だ。

2013年12月15日日曜日

クレソン

夕方、散歩に行った。
家の近くを流れる川岸だ。

土手の上を500m位の散歩コース。
久しぶりにくると、木が切られている。

河原のヨシは増えている。
少しずつ、ここも変わる。

河原を見下ろすと、クレソンが生えている。
昔、上流の方で摘んだ記憶があった。

一緒にいた連れ合いは「長靴を履いてくれば摘めたのに」と残念がった。
クレソンの回りを低い草が取り囲んでいて、そこへ降りなければ摘めない。

そこはきっと、川の水で泥になっていると見えたのだろう。
私の見立ては違った。

草は枯れている。
下は硬い土だろう。

1mほどの土手を降りてみた。
やはり大丈夫だった。

私は長靴を履いていた訳ではなかったが「ゴロ!ニャン」と鳴いて見せた。
もちろん、夕飯にはクレソンの炒め物が登場した。

2013年12月14日土曜日

老化

眼鏡を壊してしまい、眼鏡屋に行った。
応急修理はしてもらったものの、新しい物が必要となった。

一応ということで、検眼もした。
一応どころではなかった。

視力が落ちている。
このままでは、次の運転免許の更新ができなくなる。

この眼鏡屋とは古い付き合いなので、記録を見てくれた。
ここ数年の落ち込みが激しい。

白内障ではないかといわれた。
もちろん、医者ではないから断定はしない。

眼科医の受診を勧められた。
おもえば、四十過ぎから老眼は始まっていた。

いよいよ来たかという感じだ。
老眼は直らないが、白内障は手術で治ると聞いている。

白濁した水晶体を取り除いて、人工のレンズを入れるという。
欠点は、人工レンズのため焦点が決まっていること。

つまり、。焦点が合う場所が決まっているのだ。
遠近両用とか、焦点を調節できるとかのもあるらしいがかなり高額らしい。

また、米国では目薬ができたとも聞いた。
日本ではまだ認可されていず、輸入になるらしい。

もちろん自己責任なのだろう。
切ろうか、取ろうか、目薬(グ)ろうか。

2013年12月12日木曜日

ぞうさん

年末年始は、孫に会いに行くことになった。
おみやげに「ぞうさん」を作った。


















朴の板を切り抜いて、ぞうさんにした。
もちろん仕掛けがしてある。

オルゴールを組み込んであるのだ。
小樽に行ったときに買った物だ。

さらに、胴体と鼻を別に作った。
オルゴールが鳴ると、鼻が動く。

この動きが大変だった。
正直、思ったほど大きな動きにはならなかった。

果たして、孫は理解するだろうか。

2013年12月10日火曜日

忘年会Ⅱ

もう一つの忘年会は学習会のほう。
「あいあい+」という。

こちらは5人だったが、私が一番年上。
一番若い人はまだ学生だ。

といっても、会費はシビアに割り勘。
昼間だったので、お酒はなし。

お寿司付きのチョット リッチ ランチ。
食べ物より、話の方の比重が大きい。

普段の学習会でもお互いの近況とか話はするが、多少は堅い。
昨日はそういうことはなし。

普段は聞けない、個人的な話だ。
私はもっぱら北海道の話し。

1年もいれば、話題はたくさんある。
それが食べ物の話になり、つい目の前の物と比べてしまう。

浦河基準は通用しないことはわかっているが・・・
帰りがけに気がついたのは、材料の産地一覧表。

輸入物がたくさん使われている。
私たちが行くような店では、偽装表示は心配なさそうだ。

2013年12月9日月曜日

忘年会

一昨日、昨日と続けて忘年会だった。
一昨日は中学3年からの付き合い。

丑年と子年生まれの会だ。
だからモウチュウ会。

10年くらい合って無くても「よう久しぶり」で昔に戻る。
同じ学校を卒業しているから、上下はない。

というのが我々の世代。
最近「桐島部活止めるってよ」という小説を読んだ。

映画にもなった、話題小説だ。
ある高校で、一人の生徒が部活を辞める。

本人は登場しないで、それに関係する人間が動く。
そんな話だ。

今時の高校の話という。
そこに繰り返し書かれるのは、生徒間の断絶。

私たちの頃にはなかったと思う。
東大へ行ったやつ。

卒業して、そのまま就職したやつ。
授業中に紙が回って笑い合った。

その中でもグループは確かにあった。
だが、上下はなかったように感じている。

「あなたは。そのころから鈍感だったから・・・」といわれればその通りだ。
だが、鈍感だったのは私だけでは無いということも確認できた、忘年会だった。

年をとると、今年のことは簡単に忘れる。
40年前のことは、鮮明に覚えている。

2013年12月6日金曜日

馬、驚く

今日は御殿場で乗馬をしてきた。
前回行ったところだ。

同じ馬だった。
ところが、馬場のすぐ隣で工事をしていた。

ほかの馬はそれほど影響なかったようだが、私の馬は音に敏感だった。
並足はしてくれるのだが、速歩になってから音がするといけない。

首を振って驚く。
とうとう、馬場を引き馬で乗って終わりになった。

インストラクターは、私のせいではないといってくれるのだが。
他の人は平気で乗っている。

馬があれだけ暴れても、落馬しなかった自分をほめて満足しよう。

2013年12月5日木曜日

里山ふれあいセンター

秦野市の森林組合は「里山ふれあいセンター」という施設を持っている。
森林組合の事務局も一緒に置かれている。

そこには工作室がある。
数年前には、子どもの木工教室などもやらせてもらった。

今日は一人で行って来た。
個人ではそろえられない機械類がある。

組木細工とオルゴールを作らなければならなくて、部屋を借りた。
糸鋸とボール盤が必要だった。

ボール盤というのは、正確な穴をあけるのに使う機械だ。
とりあえずは必要な工作をした。

その部屋ではほかに色々な物を作っている人がいる。
3㎝くらいの厚さの大きな板を組み合わせて、テーブルを作っている女性が居た。

驚いたのはホルンを作っていたことだ。
根曲がりの檜の間伐材を使って作る。

設計図があって、端から長さを測り指定された大きさに穴を掘る。
5m位はありそうな大きさだ。

山開きなどの行事に使われているのは知っていた。
実際に目の前で作っているのを見ると大変さがよく分かる。

しかも、作っている人は知り合いだった。
コンピュータの技師さんだ。

人は色々な能力を持っているものだ。

2013年12月4日水曜日

宮脇昭XC.W.ニコル

今日も講演会があり聞いてきた。
横浜国立大学名誉教授の宮脇昭氏。

それだけではない。
あのC.W.ニコル氏とのW講演会だ。

一人でも十分人を呼べるお二人の講演会タダで聞ける。
こんなチャンスは滅多にない。

秦野市の名物宮司が企画した。
数年前にも1000年の森を作るといって、宮脇氏を呼んだ。

そのときも聞きに行った覚えがある。
ニコル氏の話は、もっと前に海老名市で聞いたことがあった。

宮脇氏は「潜在自然植生の復活」という立場。
ニコル氏は「森の中で人は生きるのが良い」ということを実践している市民という立場だ。

会場からに質問に答えて「コンクリートの建物は100年持たないが、木で作った法隆寺は1500年たっている」と言われた。
まったくその通りだと思う。

2013年12月2日月曜日

対人関係ゲーム

昨日は、相模原で講演会があって行って来た。
「子どもが育ちあう人間関係づくり」という題だ。

講師は田上不二夫、東京福祉大学教授だ。
筑波大学名誉教授であり日本カウンセリング学会認定カウンセラー会会長でもある。

「対人関係ゲーム」というのを開発し、不登校などの問題に取り組んでいる。
講演は、自分が研究の道に入った頃のことから話が始まった。

彼のユニークなところは人まねの研究ではないことだ。
片手を握って開く運動を続けることで、不安感を軽減できることの研究が始まりだったという。

もう一つは、不登校などの問題を個人の問題にしなかったことだ。
学級全体の対人関係能力を高める必要があると考えた。

今でも、こういう発想を持っている学校関係者は少ない。
担任も含めた、学級全体が変わるための方法として「対人関係ゲーム」を開発した。

見方を変えると「集団遊びを対人関係を学ぶためのツールとして学問的裏付けをした」ともいえる。
たとえば「くまがり」というゲームがある。

熊と狐と雉になって相手を捕らえるゲームだ。
私が小さい頃「水雷」という遊びがあって、ほとんど同じだ。

「これ研究者仲間でやっても面白いからやるんだけれど、40代以上はけがする人多いんだ・・・」とかおっしゃる。
ルールに配慮があって、仲間を大切にしないと勝てない。

もちろん初めはもっと簡単な「じゃんけんゲーム」からはいる。
そうして面白味を感じさせながら、集団の対人関係を深めてゆく。

昨日も、実際ゲームを経験した。
「じゃんけんゲーム」「アドじゃん」「話の種」「新聞紙タワー」どれも大人がやっても面白い。

我々大人もやった方がいいと思う。